病院の沿革
1936年、当時の川崎造船所(現在の川崎重工業株式会社)平生釟三郎(ひらおはちざぶろう)社長の「共同互助」の精神のもと、家族も含めた従業員を対象とする当時としては、画期的な福利厚生施設としての川崎病院は誕生しました。
日中戦争や太平洋戦争という国家の大事変に翻弄されながらも、戦火に遭うことなく終戦を迎えました。終戦後は、応召していた医師や看護師も徐々に復員し、診療活動が活発化しました。
1950年には医療法人として開組し、地域医療を担う民間病院へと適応して診療を行うようになりました。
1972年末からは川崎病院は変革期に入ります。当時、全国的にも少なかった人工透析室を開設し、1975年には、神戸市内では2番目の早さでCCU(Cardiac Care Unit: 重症心臓血管疾患の急性期集中治療を行う病棟)を設置し、循環器系重症疾患患者を24時間体制で治療する体制を整え、翌年には現在の心臓血管病センターの前身である「心臓病センター」を開設しました。さらに血管造影装置やCTの導入なども行われ、神戸市内の循環器救急医療を担う民間病院の中でもいわゆる草分け的存在となりました。
神戸市民の生活に大打撃を与え、神戸の街に大きな爪痕を残した阪神淡路大震災。当院においても例外ではなく、震災直後、建物はひび割れ、全館が停電するなどしましたが、なんとか災害を乗り越えることができました。
1996年には救急病院としての告示を受け、さらなる発展を期して、1998年には現在の東館を新築しました。これにより、24時間いつでも緊急カテーテル心臓手術ができる体制を構築して急性期医療体制を充実させるとともに、人間ドックをはじめとする予防医学の充実にも力を注ぐことが可能となりました。
2013年には現在の西館を新設。救急外来・心臓カテーテル室・高度治療室・心臓血管病センターを同フロアに集約し、動線を一本化することで、循環器疾患を中心に救急・急性期治療に対する診療体制をより強固なものにしました。
2018年には兵庫県知事から「地域医療支援病院」の承認を受けて、地域連携を強化しながら、診療機能の充実に努めてまいりました。
そして現在に至るまで、地域の皆さまに支えられながら、令和の時代にふさわしい高度な病院機能を有する中核病院となっています。